心理療法と因果的思考
岩波書店が出版している講座心理療法第7巻 総編集河合隼雄 「心理療法と因果的思考」という本はたいへんおもしろく興味深く読んだ。
因果的思考とは、原因と結果についての思考。何かが起こり、その結果何が起こったかを考えること。私たちは日常、ごく自然に因果的思考を行っている。原因と結果の連鎖を因果律という。
私たちが経験する出来事は、一見、原因と結果が理解しやすいように思える。しかし、刻々変化する出来事全体の一部を切り取って、原因と結果をコトバで表すことは基本的にむつかしいことだ。逆にそのコトバによって全体を思いめぐらせることも非常にむつかしい作業であるということは、言われて見れば分かる。それはちょうど微分された方程式を見て、私たちが、微分される前の方程式が、分からない部分があるのとおなじようなものだ。あるいは、高次元の世界から低次元の世界に降り立ったとき、もはや人はもとの高次元の世界を見ることは困難であることとそれは似ている。
心理療法において、それらのことで問題が生じたり、あるいは問題を解決したりできるのだという。これは、おもしろい話ではないだろうか?すくなくとも私は興味津々だった。一気に読み進んでいった。
その中に収められている川嵜克哲氏の心理療法において因果律がゆらぐことの意義とその諸形態についてなども一読をぜひお勧めしたい
クライエントの語りの対象そのもの(関係項)より、心理療法では、クライエントとクライエントの語りの対象との関係性の変化が大切であり、クライエントと治療者の関係を触媒にしてそれが実現されると言った意味のことが書かれたあった。
「事故で足を失った人にとって、足は決して戻ってこない。母に捨てられた子供にとって母親は決して戻ってこない。しかし、失った足や、去っていった母親の「意味」は、関係性が変わる事で変わり得る。関係項とは(言葉によって)分節化されることで現れるてくる「意味」であり、分節線の引き方に依存する可変的なものであるからである。」
たいへんむつかしい表現だが、うつくしいと感じた。全体的に長編の詩のようにも見える。
また、将棋に例えて『しかし、治療者が期待する変化は相手の打つ「駒の位置」ではなく、遊戯のルールそのものなのである』という文。関係項としての足、母親ではなく、失った足や、去っていった母親との心の関係性の変化を治療者は期待するという意味。(ここだけ切り取って写しても文の醸し出す雰囲気は伝わらないかもしれない)
あるいは『クライエント・治療者は項として関係性の中で受動的に「動かされる」のである。あたかも将棋の駒を動かしていた当事者たちが、いつのまにか盤上に駒として降り立って動かされるかのように』この文章も印象に残った。
クライエントと治療者が別々のところで人生というトレーニングを積み重ね、そして漸くリングに二人が立ち、激しく打ち合う時、リングの上に二つの実体があるというより、戦うもの同士の力動的な関係性そのものが存在する瞬間があるように見える。その関係性の瞬間がクライエントの対象を見る見方の変化をもたらすそんな風なことではないだろうか。
非常に難しく書かれているが、詩的な雰囲気をかもし出している。そのような散文的でない言語でしか表現できない世界に、心理療法の世界がコミットしている。そのことを垣間見た気がする。統合失調症の人が難しい数学的世界を語るということを聞いたことがある。
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